2009年10月19日

ジブリの次回作の脚本前編。

『崖の中ほどのケンタウロス 〜四ツ谷のエロス〜』

作:奈須 崇


ケンタウロスは耐え忍んでいた。揺れる訳にはいかない。揺れる訳にはいかない。彼がそのように強く念じているのはプライド以外の何物でもなかった。
昼下がり、遠足に行く子供たちが口ぐちに言う。「この馬のおっちゃん、超ゆれねーじゃん」
傷つくことは何もなかった。半人半馬。今までの人生で、いや、今までの半人半馬生で、いや、ここはややこしいので人生にしておこう。
今までの人生で幾度となく彼に投げかけられた言葉。それが「馬」だ。ケンタウロスは半分、馬だった。半分馬と言っても左右半分ではない。
右半身が人で左半身が馬というような半人半馬は見たことがない。より一般的な上半身が人で下半身が馬というスタンダードな半人半馬なのである。

まるでサラブレッドのような体躯の彼は、「あいつって、馬なの?」と奇異の目で見られ、「ケンタウロスくんって、やっぱ馬だから速いよね?」と運動会のたびにアンカーに選ばれた。
むろん、速い。彼は運動会のクラス対抗リレーはもちろんの事、例えG1レースに出ても圧勝できる自信があった。
しかし今の彼の状況に、足の速さはまったく関係がなかった。ただひたすら、揺れない。

四本足であるプライド。彼の吊革を持つ手は一層強まり、指先は白くなっていた。
東京メトロの車内。目的地に着くまで揺れないぞゲームを繰り広げている遠足の子供たち。彼はその中心にいた。
揺れる訳にはいかない。揺れる訳にはいかない。「やっぱ馬だから下半身がしっかりしてるよね」この子供たちの称賛の声を裏切らない為にも。

しかし彼の蹄が、車内の床に対して自慢のグリップ力を最大限に活かせているかと言えば、それはギリギリの戦いだった。
東京メトロの床は意外と滑るのである。靴を履いてきたら良かった。この電車に乗り合わせてから彼の頭の中を同じ不安が何度もよぎる。
ケンタウロスが靴を履く。常人にはなかなか理解してもらえない困難さが付き纏う。
決して値段だけではないのだが、例え、靴を安く提供する事で有名なABCマートで半額のバッシュを見つけたとしても、彼だけは半額にはならない。四本足だからだ。
人の二倍費用が掛る。それはまだ学生の身のケンタウロスにとって、やはり多大なる負担と言わざるを得なかったのである。
もちろん、「あいつ馬のくせにナイキ履いてない?」「しかも後ろ足だけプーマなんだけど、あれ狙ってるよね?」「しかし馬が後ろ足にプーマを履くかね?」「肉食獣を身近に感じた方が速く走れるんじゃね?」などと謂れのない中傷を受ける。それが彼を靴から遠ざけているという事実もある。

それに後ろ足は、特に履きにくい。



後編につづく。


posted by 奈須 崇 at 22:56| 若干の考察。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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